ライトワーカーれい華
東京・名古屋・神戸でスピリチュアルスクールを運営/スピリチュアルスクール校長
1、今の現状
◆上位1%の人気ヒーラーとして、話題のスピリチュアルスクールを運営
全国からお客様が集まり、7か月待ちの「予約の取れないヒーラー」と言われていました。
実力と人気を兼ね備えたあるヒーラーからも、「れい華さんは上位1%の成功者ですよ」と太鼓判を押していただきました。たしかに、ヒーラーとして10年以上人気を保ち続けている人は、世の中に数えるほどしかいません。収入においても、もちろん、上位1%に入っています。
なぜ、わたしは、上位1%の成功者になれたのでしょう?
多くのヒーラーは、お客様が発する「負のエネルギー」を処理しきれず、具合を悪くしてしまいます。中には大きく健康を損ねてしまう人もいます。ヒーラーとして成功するには、心身の健康に加え、お客様のエネルギーをコントロール(プロテクト)する“技術”と“愛”が不可欠です。
実力があっても、短期間で辞めてしまうヒーラーも少なくありません。なぜなら、必要なお客様に価値を伝えられていないからです。その点、わたしは、ヒーラーとして活動した当初からブログで情報発信をし続けてきました。オンラインで情報発信する行為も、またエネルギーです。わたしのエネルギーに共鳴した人たちが、ヒーリングの必要性に気づき、わたしのところにやって来てくれるのです。
もちろん、ヒーラーとして長く活動し続けてこれた最大の理由は、私がもともと“能力者”として生まれてきたからです。これまで、私の個人セッション(ヒーリング)を受けた95%以上の人が、身体の不具合や不調を大きく改善させ、元気な姿に生まれ変わりました。
これができるのは、わたしが常に、一人ひとりが抱えている“真の問題”をとらえ、その問題に対して的確なアプローチをかけているからです。多くの人から「本物のヒーラー」と言っていただけているのは、私が、どんな人のどんな不調をも、立ちどころに改善へと向かわせているからです。
医療機関や他のヒーラーを渡り歩いた末、わらにもすがる思いでわたしのところにやって来て、「これまでの不調がウソみたいです!」と、その改善効果に大喜びしてくれた人もいます。たくさんの方のお役に立ててこれたことは、ヒーラーとしての大きな誇りです。
これまで、ヒーラーとして13年間で、お医者さん、会社経営者、国際政治評論家、人気タレント、モデルなど、延べ1万回以上の個人セッションを行ってきました。“後継者を育てて、より多くの人を幸せにしよう”という思いで3年前に立ち上げたスピリチュアルスクールにも生徒が殺到。
多くの生徒たちが、基本コース後チャネリングコース、スクール経営コースに進み、支部の校長として多くの生徒を育ててくれています。
途中、順風満帆といえない時期もありましたが、こうして、ヒーラーとして使命を、情熱をもって生きてこられたのは、幼い頃から神々への造詣を深めてきたことに加え、神さまたちの、あたたかい応援があったからにほかなりません。心から感謝しています。
現在は個人セッションは終了しました。
2、なぜ今の職業に就こうとしたのか?
◆「神様との出会い」と「特別な能力の覚醒」
私は小学校6年の2学期に、鹿児島から東京に転校してきました。
中学2年の時に、イギリスの飛行機が富士山に墜落したという臨時ニュースがテレビで流れました。その時、わたしがいた場所が、東京の外れにある富士山がはっきり見える場所だったので、私は富士山に向かって「どうか全員が助かりますように」と祈りを捧げました。
すると、驚くことが起きました。突然、わたしの前に神さまが現れたのです。
その強烈なエネルギーを前に、私は身動きすることすらできませんでした。
その神さまは、人間でいうところの「オーラ」、つまり、バリアのような中に入っていらっしゃいました。今思うと“宇宙神”だったのでしょう。
白い髪。白い髭。白い着物を着ていました。手には、それはそれは立派な「龍の杖」を持っていらっしゃいました。上が龍の彫り物で、下に行くほど細まっていく杖でした。「怖い」と思いながらも、われながらよく観察していたものだと思います。
その時に神さまから「この土地を買いなさい。一生豊かに暮らせる」と言葉が聞こえたのです。中学2年生の私には、何のことだかさっぱりわかりませんでした。突然、現れた神さまから急に土地を買えと言われても……。
神さまがいう「この土地」とは、叔母がもつ2万坪の土地でした。
私は母に、その日あった出来事について話しましたが、母はその話をまったく信じてくれませんでした。のちに母から、当時、その土地が坪2000円だったことと、その後、田中角栄首相の日本列島改造論によって坪何十万円に高騰したことを聞きました。
おそらく、私が地球での生活に困らないよう、未来を知っている“宇宙神”が現れて教えてくれたのだと今では思います。あのとき母があの土地を買っていたら……大金持ちになっていたところでした。
この一件は、私の人生に大きなインパクトを与えました。
神さまが私を見守ってくれていることを確信したからです。
友人たちに聞いても、「神さまに会った」という経験をした人はいませんでした。私は「自分だけが特別な経験をさせられた」ことがはっきりわかり、そして、「何かしらの使命を持ってこの世界に来た人間であること」を理解しました。
畏怖の念に身震いしながらも、中学2年生だった私は、『大きくなったら、人の役に立つ人になろう!!』と決意を固めました。
時は流れ、結婚をし、子育ても終わったある朝のこと。
目を覚ますと、空中に「多摩川駅徒歩3分」という文字が浮いていました。もう、びっくりです。それはタイプで打ったようなきれいな文字で、まるで映画の演出か何かのようでした。
「多摩川駅ってどこ?」と思い、わたしは、すぐに調べてみました。多摩川駅が東急東横線の駅だとわかると、さっそく向かってみました。
神さまが、「そろそろ、あなたの仕事をしなさい」と合図を送ってくれているのかな?
そんなことを考えながら、多摩川駅周辺を歩きました。せっかくなので周辺の物件を見学してみると……ものすごく家賃が高い! なんと、このあたりの住所は、高級住宅街として有名な「田園調布」だったのです。
しかし、これは、どう考えても、神さまからの合図です。わたしは、田園調布に住むことを決意しました。運良くマンションも見つかりました。
引っ越す前に「私が田園調布にいることを全国の人がどうやって知ることになるのでしょうか?」と神さまに聞きました。神さまは、その答えを、わたしの体験を通じて間接的に教えてくれました。
とあるセミナーに参加した時、私の隣りに座っていた人が、ブログランキング1位のブロガーさんだったのです。「ブログ? なにそれ?」。当時、見たことも聞いたこともないブログ。でも、運命を感じた私は、すぐにパソコン教室の門をたたき、ブログをスタートさせました。
まだブログを書く人が少ない時代でしたが、なんと、わたしのブログは1週間で、ブログランキングの10位にランクイン。ブログを書けば書くほどお客様が集まってきて、スケジュール帳はみるみる予約でいっぱいになりました。気がつけば7か月待ちの「予約の取れないヒーラー」になっていたのです。出版社の人からは「今までこれほど予約の多いヒーラーさんは見たことがない」と言われました。
わたしは、自分がこの世に来た使命を果たし始めたことに心を踊らせ、そして、多くの人の役に立っていることに充実感を覚えていました。
3、辛い思い出
◆災害や感染症が日本人に与えた精神的ダメージ。対面ヒーリングの限界を感じる
その日はちょうど個人セッションをしていました。3人目のセッションをしているときに、家が激しく揺れたのです。それは、これまで体験したことがないほど長く大きな揺れでした。
2011年3月11日。そう、東日本大震災が起きた日です。
わたしの人生において、この日ほど衝撃を受けた出来事はありません。テレビ画面に写る光景は信じられないものでした。大津波によって大きな家がどんどん流され、無残にも壊れていきます。さながらパニック映画でした。津波が押し寄せてからわずかな時間で多くの人が命を落としました。
都内でも帰宅難民が大量発生しました。わたしは、交通が遮断されて家に帰れなくなったお客様2人を泊めてあげました。その後も大きな余震が続き、お客様と娘の4人で不安な一夜を過ごしました。
3.11が与えた試練は、地震や津波だけではありませんでした。原発事故も発生して、日本は戦後最大の危機に陥りました。放射能に対する疑念と不安は、その後、何年もの間、重く垂れ込めた黒い雲のように私たちの生活をのみ込みました。
地震や津波もそうですが、近年は、真夏の熱暑やゲリラ豪雨など、日本は大小さまざまな災害に見舞われています。象徴的なのが台風です。毎年のように勢力が増し、日本各地に甚大な被害をもたらしています。これまで私は、台風を「怖い」と思ったことがありませんでした。しかし、ここ2~3年の台風は命の危険を感じるほど勢力が巨大化しています。事実、大勢の人が、台風で家をなくしたり、命を落としたりしています。ニュースを見るたびに悲しい気持ちに襲われます。
どうして日本ばかり、これほど大きな災害に見舞われるのでしょうか? 私が何よりも危惧しているのは、日本人の多くが、心で「恐れ」「不安」「悲しみ」「絶望」など“負の意識”を増幅させてしまっていることです。それらは顕在化しているものもあれば、意識の下に深く潜り込んでしまっているものもあります。もちろん、そうした“負の意識”は、私たちの心と体の不調として現れることが少なくありません。
もう、個人セッションだけでは、みんなを救うことはできない。
私は、そう考えるに至りました。ヒーラーとしての限界を感じると同時に、「どうすれば一人でも多くの人を救えるだろうか?」と真剣に考えるようになりました。それが、スピリチュアルスクールの開校への大きな原動力となりました。自分と同じ能力をもつ人が世の中に増えれば、おのずと“負の意識”が取り除かれ、癒やされる人も増えていきます。その流れが加速すれば、日本中の人が救われることになります。
時は過ぎ、2020年。世界中を恐怖に陥れたコロナ危機。
自分が生きている間に、まさかこんな世界になろうとは思ってもいませんでした。
私の魂の高次の存在である「ハイヤーセルフ」が、語りかけてきました。
「経済的に大きなダメージを負います。人々は路頭に迷い、日常生活が大変困窮します。あらゆるところでケンカや言い争いが起こります。ある人は自殺し、ある人は泣き叫びます。日本も大変な時代になります。冷静に対処してください」厳しい言葉が続きます。
そして、最後にこう語りかけたのです。
「生死の運命は分かれますが、生き残った人たちには、これからの世を創る責任があります」と。
現在、自宅待機を強いられて強いストレスや不安を抱えている人がたくさんいます。
そうした中で、私に何ができるだろうか? 自問自答する日々が続いています。
4、メンターは神さま
◆それぞれに専門性をもつ「神さま」から有益なアドバイスをもらっている
私は、小さい頃から神さまに会い、神さまから話を聞くなど、不思議な体験を数多くしてきました。
それは、自分に与えられた特別な能力だと信じ続けてきました。一方で、「どうやったらこの能力を世の中のために活かすことができるだろうか?」と、ずっと考え続けてきました。
メンター(=師)となる人との出会いも、残念ながらありませんでした。
そんな私がメンターとして選んだのは、「世界中の聖地」と「日本の神社」でした。
エジプト4回、マチュピチュ3回、イタリアの聖フランチェスコの街アッシジ2回、フランスのモンサンミッシェル2回、水と天使の街シャスタ2回——など、私は世界中の聖地を訪れました。いちばん遠かったのはモアイ像で有名なイースター島です。いずれもすばらしい場所で、私は、その土地土地でさまざまなインスピレーションをもらいました。もちろん、時間を見つけては、日本各地の神社にも参拝しています。聖地や神社を訪れながら、私は自分の能力に磨きをかけてきました。
私の能力の中でも最も長けているのが透視能力です。お客様が抱えている問題の原因が、私には、映像としてはっきり見えます。長い間、個人セッションをしてこれたのは、この透視能力のお陰です。
映像が鮮明に見える分、当初の私は、神さまの声を聞くチャネリングが苦手でした。ところが、田園調布のマンションから、さらに“気”のいい一軒家に引っ越すタイミングで、いろいろな神さまとつながり、メッセージをもらえるようになりました。今では簡単にチャネリングすることができます。
「神様」や「ハイヤーセルフ」からいただく意見は、家族や健康やお金といった自分自身のことからスクール事業のこと、日本の情勢や未来についてまで、多岐にわたります。実は、神さまたちも専門分野があるのです。お金のことなら「ガネーシャ」や「毘沙門天」。日本のことなら「アマテラス様」や「コノハナ様」。芸能のことなら「アメノウズメ様」という具合です。私が道に迷わず進んでこられたのも、そのつど最適な神さまからアドバイスをもらっているからです。
それゆえ私のメンターは、神さまたちなのです。
5、変化したこと
◆毘沙門天が「倒産」の危機を救ってくれた!
神さまたちの声が聞こえるようになって以降、これまで以上に人生が豊かになりました。
神社に行くと、決まって神さまが視(み)えて、耳にはメッセージが聞こえてきます。
神さまは優しく、私のどんな質問にも答えてくれます。そのお陰で、私は余計な回り道をすることなく、自分の使命に生きることができているのです。
マンションの一室で個人セッションだけをしていた頃は、何でも一人でこなす“一匹狼”でした。スピリチュアルスクールを始めたことで、献身的な人が集まるようになり、私の人生も様変わりしました。いずれ、本校講師や支部の校長たちが、日本や世界で活躍するかと思うと心が弾みます。
私のスクールでは、2か月でほとんどの生徒の透視能力が開花します。おそらく日本で一番ではないでしょうか。それだけの実績をあげているにもかかわらず、スクール料金は、一般的なスピリチュアルスクールの半額ぐらいです。これは、「料金を安くして、大勢の人に教えなさい」という神さまの啓示に従ったまでです。神さまのアドバイスはいつでも的確です。
こんなふうに書くと、「挫折知らず」と思う人もいるかもしれませんが、一度だけ「倒産」の二文字が脳裏をかすめた時期がありました。それまで順調にいっていたスクール事業でしたが、ある期の募集時に、事務局スタッフが、本講座の説明会を兼ねた1 DAYセミナーの告知をしていなかったのです。告知をしなければ、人が集まるはずはありません。なんとかして集めた参加者も「入りたいけど……今はお金に余裕がありません」という理由で、多くの人が本講座に入りませんでした。世界中の聖地を巡って支出も多かった私は、一気に金銭的なピンチに陥りました。
私は、神さまに質問しました。
「神さま、お金持ちを寄こしてくださいとは言いません。せめてスクール料金を払える人に参加してもらいたいのです。どちらの神さまにお願いすればいいですか?」
すぐさま「毘沙門天!」という声が聞こえました。
聞いたことがない名前でしたが、神楽坂にお寺があるとわかり、すぐに参拝しました。
効果抜群でした!
以来、1DAYセミナーにたくさんの人が来てくれるようになりました。それだけではありません。セミナー会場に毘沙門天が現れて、黄金を積み上げたり、参加者に金貨をあげたりしてくれたこともあります。この金貨は、1年後に、何かしらのボーナス、あるいは、クルマのような形のあるものとしてその人が手にするのです。
講座参加者の質が変化したのも、毘沙門天の効果に違いありません。本講座申し込み者の半数以上が一括払いをしてくれました。しかも、口々に「安いですね!」と言うではないですか。
「倒産」の危機を救ってくれたうえ、V字回復へと導いてくれたのも、やはり神さまでした。神さまたちへのご恩返しの意味も含めて、私は、今まで以上にスクール事業に注力して、後進を育てていこうと決意しました。
6、本が教えてくれた
◆1冊の本で経営者として覚醒し、スクール事業をコミュニティ化する
1冊の本を読んで、頭をハンマーで叩かれたかのような衝撃を受けました。
なんて自分は“のほほん”とした経営者だったのだろうと恥ずかしくなると同時に、いても立ってもいられない状態になりました。
“億万長者メーカー”の異名を取るダン・ケネディの著書『稼ぐ社長の作り方』です。
そこには次のようなことが書かれていました。
【これがあなたの本当の仕事です】
☆既存のお客様に繰り返しお金を払ってもらう為に、どれくらいの時間を使っていますか?
☆あなたの会社の知名度を高めるためにどれくらい時間を使っていますか?
この本によって、経営者としての自覚が目覚めたように思います。よりよい方向に生徒たちの人生を導くために、スクールのコースを見直す必要があると感じました。
ヒーリングの技法を学びながら透視能力を開花させる従来の講座を「基本コース」とし、そのうえで、神さまと話せる「チャネリングコース」、ライトワーカーれい華スピリチュアルスクール支部のスクール校長になれる「スクール経営コース」を新設しました。理想は、いつでも生徒たちが気軽に集まったり、学んだりできる「コミュニティ型のスクール」です。
「チャネリングコース」は、練習会を設けてくり返し参加できるようにしました。スクールに来れば、ペアを組んでヒーリングやチャネリングの練習ができます。もちろん、自分の具合や体調が悪ければ、生徒同士でお互いにヒーリングし合うこともできます。このスクールを相互扶助の場としても役立ててもらえることは、私にとっても大きな喜びです。
7、今後どうしていきたいか。
◆合言葉は「一家に一人ファミリーヒーラー!」
たび重なる地震や台風災害、そして、コロナショックにより日本人のメンタルが弱まっている気がします。
以前のような個人セッションで一人ひとりを救う形では間に合わなくなってきています。私と同じレベルのヒーラーが、どうしても全国に必要なのです。理想は一家にひとりヒーラーがいることです。
神さまからも、「より多くの人を救うために、自分のやってきた特殊なノウハウを広めるスクールをやりなさい」というメッセージを受け取っています。
今までのヒーラー人生で培ったものすべてを“魔法の極意”として、生徒に教えて行こう!
私は今、強くそう思っています。
能力開発トレーニングで「透視能力」を開花させながら、「ヒーリング」や「チャネリング」までできるよう導くスクールは、いくら日本広しといえども、類を見ないと自負しています。
2019年秋。浅間神社のコノハナ様に呼ばれて「全神が応援するから前に立ってほしい」「日本のリーダーになってほしい」と言われました。
日本中の人たちに、「日本にはすばらしい神さまがたくさんいるんだよ」と伝えたくて、私はYouTubeのチャンネル【れい華チャンネル】での情報発信をスタートさせました。
そして2020年。世界中を恐怖に陥れたコロナショックは、多くの人々の考え方や価値観、ワークスタイルや生活スタイルを一変させました。
先行きが見えない中、ストレスや不安を抱えている家族がほとんどだと思います。
コロナショックによって、改めて「家族の大切さ」を実感した人も多かったはずです。
こんな時代だからこそ、一人ひとりの心のケアが必要です。
自分のことを癒し、家族のことも癒せるヒーラーが求められているのです。
「一家に一人ファミリーヒーラー!」を合言葉に、引き続き、大勢のスクール生を育てていきたいと思います。私自身も、日々、努力と鍛錬を怠らず、そして笑顔とユーモアを持ちながら、日本のために自分の使命を果たしていきたいと思います。